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「死んではいけない」という言葉の無遠慮さ

「死にたい」とgoogle検索すると、いわゆる「死んではいけない」というメッセージ性の高いサイトがごろごろ出てくる。

それが、苦痛、というか、正論で気持ちよくなるためのダシにされているとしか思えない。

生きることと死ぬことは等価値であると考えてみよう。そこにある共通項は「自由」である。

自由は、今世紀最後の神話である。誰もが「自由」に生きることを声高に叫ぶ。しかし、その一方で「死ぬ」ことは罪だという。いきることは「自由」であってよいが、死ぬことは「自由」であってはならないというのだ。

これが、気にくわない。

レヴィ=ストロースに習って構造主義的に考えるのならば、死ぬことの禁止が、生きることを強制する構造を生み出している。

「自由」に生きろというのは建前で、誰かのために「強制的」に生きなければならない。これが実態。それは、自由神話を標榜するヒューマニズムではなく、誰かの都合で生き死にを左右される家畜の生き方だと感じてしまうのだ。