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自由とは何か

自由になりたいと、常々考えている。

職業、地位、言葉遣い、服装から髪型まで、「自由である」ということに価値を見いだすように、我々は方向付けられている。

ここでいう「自由」とは、「選択の自由」である。しかしそれは、アメリカ神話によるところの価値観である。古代中国人が儒教を重んじ、中世武士が武士道に則り、インド人がカーストに即して生活するのと同じように、現代日本の我々は自由であれという教義を実践することを求められる。

ところが、自由意志というものはそもそも存在しない。

目の前のコーヒーに手を伸ばしたとき、その理由を尋ねられた人は「コーヒーが飲みたいと思ったからだ」と言う。しかし、実際にはそう思う前に、コーヒーに向かって手を伸ばすための信号が脳内で発せられている。

社会的制約もある。中学や高校の進路希望調査票では、己の進路を自己決定、「選択」するという体裁を保ってはいるが、それは、限られた情報しか与えられない内の「選択」である。たいていの場合は、教師が妥当と考える情報しか与えられない中での選択は、知らず知らずのうちにその意に沿うように方向付けがなされている。